椅子職人、画家、執筆家、AIが共有する「創造の秘密」について

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はじめに:創造って結局何なんだろう?

先日、興味深い記事に出会いました。日立の研究者の方が紹介していた、朝山絵美さんという方の「椅子作りを通したタンジブル化」という考え方です。

タンジブル化。聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単に言うと「頭の中にある無形のものを、手で触れる有形のものに変える」ことです。

朝山さんは椅子作りを通じて、「自分の主観を軸にすること」や「具体的に手を動かすこと」の大切さを発見されたそうです。そして、真に美しいものに触れたときの「トリハダ美」という感覚の大切さについても語られています。これを読んだとき、「あれ?これって私がブログを書くときと同じでは?」と感じました。

そして考えてみると、画家が絵を描くとき、最近話題の生成AIがコンテンツを作るときも、本質的には同じプロセスを辿っているのかもしれません。

今日は、一見まったく異なる4つの創造活動から見えてくる「創造の共通点」について考えてみました。

創造の4つのパターンを解剖してみる

まずは、それぞれの創造プロセスを整理してみましょう。

椅子職人の場合

木材という素材があり、培ってきた技術があり、そして「こんな椅子があったらいいな」という感性がある。それらが組み合わさって、実際に座ることができる椅子が生まれます。

画家の場合

絵の具とキャンバスがあり、描くための技術があり、そして心の中にある「表現したいもの」がある。それらが混ざり合って、見る人の心を動かす作品が完成します。

執筆家(筆者)の場合

日々の体験や学んだ知識があり、文章を書くスキルがあり、そして「これを誰かに伝えたい」という想いがある。それらが文字として形になり、読者の方に届く記事になります。

AIの場合

膨大な学習データがあり、高度なアルゴリズムがあり、そして人間からのプロンプト(指示)がある。それらが処理されて、まるで人が作ったかのようなコンテンツが生成されます。

並べてみると、どれも「素材×技術×意図」の組み合わせです。

共通する「創造の法則」を発見した

朝山さんの椅子作りの話をヒントに、これらの創造活動を観察していると、4つの共通点が見えてきました。

①主観(または基準)を軸にする

椅子職人は自分の美意識や座り心地の基準を持っています。朝山さんの言葉を借りれば、「トリハダ美」を感じるような、本当に美しいと思える椅子を作ろうとします。画家は独自の世界観を大切にします。私がブログを書くときも、「こんな記事を読みたい」という自分なりの基準があります。

AIの場合は少し複雑ですが、学習データの傾向とプロンプトの内容が「基準」の役割を果たしているようです。

②手を動かすことで思考が深まる

これは本当に不思議なことですが、実際に作業を始めると、頭で考えているだけでは生まれないアイデアが浮かんできます。

椅子職人は木を削りながら、画家は筆を動かしながら、私は文字を打ちながら、新しい発見をします。記事を書いていて、突然アイデア同士が繋がる瞬間があるのですが、私はそれを勝手に「ひらめき感」と呼んでいます。朝山さんの「トリハダ美」のように、創造の瞬間にしか味わえない特別な感覚です。

AIも同様で、プロンプトを調整し、生成と修正を繰り返しながら、より良いアウトプットに近づいていきます。

③不確実性の中での試行錯誤

完成形が最初から見えることは、ほとんどありません。椅子職人は作りながら微調整し、画家は描きながら構図を変え、私は書きながら構成を修正します。

AIも同様で、一発で理想的な結果が出ることは稀で、何度もプロンプトを調整する必要があります。

④偶然性を受け入れながら調整

作業中に思いがけない発見があったり、予想外の方向に進んだりすることがあります。優れたクリエイターは、そうした偶然を活かしながら作品を仕上げていきます。

AIの生成結果にも、時として想像を超える面白いアウトプットが含まれることがあります。

でも、AIには「主観」ってあるの?

ここまで見てくると、AIも他の創造活動と似たプロセスを辿っているように思えます。でも、決定的な違いがあります。

それは「体験」と「感情」の有無です。

椅子職人は実際に座った経験があるからこそ、座り心地の良い椅子を作れます。画家は感動した風景や、心の奥にある想いがあるからこそ、見る人の心を揺さぶる絵を描けます。私がブログを書くときも、実際に体験したことや感じたことが文章の核になります。

AIの「主観」は、学習データの偏りとプロンプトの意図を組み合わせたものです。でも、実際にその体験をしたわけでも、感情を持っているわけでもありません。

これは良い悪いの話ではなく、根本的な違いだと思います。

クリエイターの独自性は「なぜ作るか」にある

最近、「AIに仕事を奪われる」という話をよく聞きます。確かに技術的なスキルだけを見れば、AIの方が優れている部分もあります。

でも、創造の本質は「なぜ作るのか」にあるのではないでしょうか。

椅子職人は「座る人に心地よい時間を過ごしてもらいたい」という想いがあります。画家は「自分にしか表現できない世界を伝えたい」という衝動があります。私がブログを書くのは「読者の方の日常に小さな気づきや楽しみを提供したい」という願いがあるからです。

AIには、この「なぜ」の部分がありません。指示されたタスクを高精度で実行することはできますが、自発的に「これを作りたい」と思うことはありません。

この「なぜ作るのか」という動機こそが、人間のクリエイターにしか持てない価値なのだと思います。

AI時代のクリエイター戦略:「Why」を磨こう

では、AI時代を迎えた私たちクリエイターは、どう向き合っていけばいいのでしょうか。

私が大切だと考えるのは、技術的なスキルよりも、目的意識と体験の深さを磨くことです。

マインドフルネスの実践を通じて、日々の小さな気づきを大切にしています。スマートウォッチで記録した心拍数の変化から、自分の感情の動きを観察することもあります。こうした体験は、AIには決して持てないものです。

そして、AIとは敵対するのではなく、創造プロセスのパートナーとして活用することを心がけています。

例えば、記事のアイデア出しでAIに相談することがあります。でも、最終的にどの角度で書くか、どんな体験談を盛り込むかは、自分の判断で決めています。AIが提供してくれるのは「素材」の一部であり、それを「作品」に仕上げるのは、やはり人間の役割だと感じています。

おわりに:創造の本質は変わらない

椅子職人、画家、執筆家、そしてAI。一見まったく異なる4つの創造活動でしたが、どれも「無形のものを有形に変える」というタンジブル化のプロセスを経ていることがわかりました。

でも同時に、人間の創造活動には「体験」「感情」「目的意識」という、AIには持てない要素があることも見えてきました。

技術は進歩し続けますが、創造の本質は変わりません。大切なのは、自分なりの「なぜ」を持ち続けることです。

読者の皆さんも、何かを創造するとき、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。「なぜこれを作りたいのか」「誰のために作るのか」。その答えこそが、あなただけの創造の源泉になるはずです。


この記事が、創造活動に取り組む皆さんの小さなヒントになれば嬉しいです。AI時代だからこそ、人間らしい創造の価値を大切にしていきたいですと思います。

参考文献: