AIには作れない「最高の一枚」― 職人の感覚が教えてくれること

AIと米菓の融合するイメージ画像

AIに究極のせんべいは作れるか?

生成AIが瞬時に最適解を提示してくれる時代。

AIに『最高の米菓を作って』と頼んだら、本当に最高のものができるだろうか?

理論値としては理想的な配合や手順を示せるかもしれません。温度管理は0.1℃単位、材料配合は0.01g単位。人間には真似できない精密さで、24時間365日、同じ品質を保ち続けられるでしょう。

でも、私たちが「最高」と感じる一枚は、本当にデータの完璧さから生まれるのでしょうか。

職人が読む「お米の声」

工場では、職人が米を研ぐ姿を見ることができます。同じ産地、同じ品種の米。データ上は同じはずなのに、職人は言います。

「今年のお米は、昨年のお米とは違う」

研ぐ時の音、手に伝わる感触、水の濁り具合。五感をフル稼働させて、その日の米の「機嫌」を読み取る。湿度が高い日は水を控えめに、乾燥した日は少し多めに。マニュアルには書かれていない、数値化できない世界がそこにあります。

AIの「標準化」と職人の「最適化」

AIが得意なのは「標準化」です。決められた手順を正確に何度でも繰り返す。品質管理の観点では理想的です。

一方、職人が行うのは「最適化」。生地を捏ねながら、その日の気温や湿度、素材の状態を総合的に判断し、瞬時に調整を加える。まるでジャズミュージシャンが即興演奏するように、その瞬間の最善を追求し続けます。

米菓鑑定士として日々様々な製品を試食していますが、同じ商品でも微妙に違うことに気づきます。それは品質のブレではなく、その日その時の環境に合わせた「最適解」なのです。生地作りから乾燥、焼き上げまで、各工程で職人が施す細やかな調整。データ上は「誤差」かもしれませんが、それこそが「おいしさ」を生み出す秘密なのだと試食の度に実感しています。

興味深いのは、職人自身も「なぜそうしたか」を言葉で説明できないことが多い点です。『手が覚えている』『経験に基づく勘だ』と。職人の世界でよく聞くこの言葉の裏には、AIには決して真似できない経験知の集積があると思います。

テクノロジーと伝統の間で

この言語化は、AIに仕事を教えるためではありません。むしろ、AIには決して踏み込めない領域があることを、私たち自身が理解するためです。

考えてみれば、クリエイティブな仕事の多くがそうかもしれません。デザイナーの「何か違う」という感覚、音楽家の「ここはもう少し間を取りたい」という直感。データ化できない、でも確実に存在する価値がそこにあります。

創造への道

AIと職人技の未来は、どのように共存し合えるかと考えることがあります。

AIが品質管理やレシピ考案を担当し、職人は創造性により集中する。あるいは、AIが膨大なデータから新しい組み合わせを提案し、職人がそれを「美味しさ」に昇華させる。

ただし、一つだけ忘れてはいけないことがあります。効率化の先に失われるものはないか、常に問い続けることです。単純作業の中にこそ、次のひらめきの種があるかもしれない。データには表れない、小さな違和感が革新を生むかもしれない。

あなたの仕事の「感覚」は?

米菓製造の世界で起きていることは、きっとあなたの仕事でも起きているはずです。

マニュアル化できない判断、数値化できない価値、AIには真似できない「何か」。それは何でしょうか?そして、それをどう次世代に伝えていくことかが問われています。

テクノロジーの波は、もう止められません。だからこそ今、私たちは自分たちの「感覚」と向き合い、その価値を見つめ直す時期に来ているのかもしれません。

五感を含めた人の感性をどのようにAIに伝え、未来へのバイブルにできるのか。

職人技とAIの創造への道。その挑戦は、まだ始まったばかりです。

参考サイト